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鰹節(かつおぶし)の土佐与市

[2015年9月16日]

土佐与市

房州の漁業は、江戸時代の初め関西の人たちによって開発されました。その訳は、徳川家康が江戸に幕府を開き、たくさんの人が住み着きますと、房州近海から獲れた魚が評判よく消費されるようになり、それを知った関西の漁師たちが、進んだ漁法や加工技術を引っ提げ、房州へ出稼ぎにやってきたからです。
その中に、「土佐与市」と呼ばれる人がいました。宝暦八年(一七五八)紀州に生まれた与市は、鰹節を作る名人でしたが、三十歳の頃、家を出て東国の港町を渡り歩き、房州の南朝夷村に辿り着くと、網元の渡辺久右衛門の家に身を寄せたのです。
与市は渡辺家に、命の尽きるまで留まり、紀州の秘伝だった鰹節を作る方法を南朝夷の人たちに教えたのです。やがてそれは、太海や天津方面まで伝わり、当時の江戸市場で、房州産の鰹節の評判は、本場の熊節(紀州産の鰹節)と肩を並べるほどになったそうです。
与市の墓は、千倉町南朝夷の東仙寺にあります。房州の海産物加工に大きく貢献した人の墓ですから、皆さんも一度お参りしてみませんか。