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孝子茂左衛門

[2015年9月16日]

茂左衛門

むかし、金尾谷村(今の富浦町福澤)の大上(おおがみ)に、茂左衛門という親孝行な若者がいました。家が貧乏だったので毎日船形へ働きに出て家の暮らしを立てていましたが、その頃の大上は、道らしい道がなく、松や杉の茂った昼でも暗い細道を通うのですから大変なことでした。
でも、家に病気で寝たきりの父親がいたので、その世話のため住み込みで働きに出られなかったのです。ある日、茂左衛門が家に帰りますと、あたり一面の山火事で、どこの家にも火が移りそうになっていて、村人たちは消化に一所懸命でした。驚いた茂左衛門は家に飛び込むと父親を背負い、安全な場所をめざし、どんどん逃げ出しました。
村人たちが「病人などにかまっていると家が焼けてしまうぞ」と叱りつけますと、茂左衛門は「家は焼けてもまた建てられるが、親の命はもどらない」と言いました。これを伝え聞いた領主の酒井大和守(さかいやまとのかみ)は、たいそう感心し、茂左衛門を召し出し「これからも親に孝行しなさい」といって、たくさんのお金をほうびにくださいました。