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南無谷(なむや)の地名

[2015年9月16日]

日蓮

富浦町の南無谷は、大昔、泉澤村と呼ばれていました。それは、湧水がたくさん出ている沢があったためか、泉澤氏という郷士が住んでいた所だったためか、どちらかの理由によるものでしょう。
南無谷と変わったのは、僧・日蓮と関係があります。建長五年(一二五三年)五月中旬に清澄山を出られた日蓮が鎌倉に渡ろうと、この地に来たのですが、その時は、風波が厳しく渡航できなかったため、三日ほど泉澤権頭太郎(いずみさわごんのかみたろう)の家に泊まりました。
日蓮は日蓮宗を日本国中に広めようとしていましたから、泉澤家の人たちにも熱心に法華経を説き聞かせました。老母ふく、権頭太郎、その弟、二郎、三郎はともに教えを信じました。特に老母ふくは、妙福(みょうふく)という法名を授かったほどでした。
やがて風波は静まり、日蓮は無事に鎌倉近くの米ヶ浜に上陸されたのですが、日蓮はこれが縁で文永元年(一二六四年)小松原の難後、再び泉澤家を訪れたといいます。間もなく、村中に日蓮宗が広まり、村の名が南無妙法谷村(なむみょうほうやむら)となりましたが、長すぎるので南無谷となったのです。